ドキュメンタリー映画「台湾萬歳」撮影地上映会レポート

最終更新: 11月13日


<台湾萬歳/酒井充子監督(ドキュメンタリー映画/2017.7.22公開)>


 2017年4月末、ドキュメンタリー映画「台湾萬歳/酒井充子監督/2017」が完成した。監督にとって台湾三部作の第三作は、台湾東海岸、北回帰線より南に位置する漁港、台東縣成功鎮(鎮は町)が舞台の中心だ。ありがたくも私は第一作「台湾人生」、第二作「台湾アイデンティティー」でも音楽を担当させて戴き、オリジナル曲を作り、ガットギターを中心に演奏し、それらが挿入曲となった。


 私は台湾には行ったことがなかった。ただその頃から、ロケ後出来上がってくる映像に現れる登場人物の声や表情からも、関連した本を読んでも、台湾映画を観ても、ひと味違った近さや懐かしさが伝わって来た。いや、私が近づいたのでもあろう。1945年までの約50年間の日本統治、その後の国民党政権下の38年に渡った世界史上最長の戒厳令、多様な民族間の共存と衝突など、歴史に翻弄されながらも逞しく生きてきた台湾人に、心底寄り添い、足繁く通い、その思い、生活、史実を、ありのままを表現してきた酒井監督の作品において、音楽家のとる立ち位置も監督に倣い、台湾の人達に寄り添う事だった。


 2016年5月末、私はロケ隊に同行し撮影拠点成功鎮へと向かった。初台湾なれど台北をスルーして、東海岸のどこまでも広い海を眺めながら鉄道で台東駅に。駅には台湾側のプロデューサーが迎えに来てくれ、そのまま夕暮れの成功鎮へ。台湾はどこでもWIFIが繋がり、町には日本のコンビニも、ドラッグストアもあり、ここ成功鎮も小さな町なれど不自由はない。成功漁港のすぐ近くの宿を根城に、漁港や海の神が祀られた祠などのロケに着いていったり、映画の登場人物にお会いしたり、散策したり、皆でマンボウの刺身まで食べたり、たぶん一生のうちで一番贅沢な一週間を過ごした。もちろんこれは、三作目に際し、音楽家にも現場の空気を感じて欲しいという監督の意向であり配慮であり、制作会社の尽力も大きい。私も近づき、台湾も近づいてきたが、やはり実際に行けば、その感覚はより自然なものとなった。その最大の理由は、台湾の人達の心にあった。




 2017年6月29日、成功鎮での上映会と、台東縣(特別協賛)台東市での試写会のために、私は二回目の訪台をした。今回は台北から国内線で台東空港へと向かう。「台湾アイデンティティー」でも紹介された火焼島(現:緑島)も眼下に、台湾東海岸南部の美しさに心安まり、彼等との再会に心躍る。その夜は、映画とは別の台日交流の宴にお邪魔し思わぬ出会いも。翌朝、台東市で自治体、マスコミ向けの試写会が行われ、出演者、制作スタッフが勢揃いした。映画は出演者が主に日本語を話し、台湾語、アミ語、ブヌン語などが一部で使われているので、台湾華語のテロップが入る。好評を得て安堵、上映後、台東縣主催の昼食会では出演者の皆さんとお話しする機会も得た。太陽が真上にあると雲はこう映る、と初めての景色を楽しみながら、昼のうちに成功鎮に向かう。街道を太平洋側に右折すれば海と町が同時に目に飛び込んでくる。私はまだ二回目なのに帰って来たような気分になった。その晩、そして翌日のなんと上映会の前に行われた懇親会でも、人々の繋がりがもたらす、我々を迎え入れてくれる大きな優しさに包まれた。


 そしていよいよ、監督とスタッフが切に願ってきた、一般公開初日を撮影地成功鎮で迎える時がきた。7月1日夕方、国立成功商業水産職業学校の体育館には500人もの老若男女が集まり、この地始まって以来の大イベントとなったらしい。気温30度を優に超える、もちろん体育館だからエアコンも無い状態での上映会は、様々なトラブルなども予想されるが、現地と日本側スタッフの懸命な準備によって、無事に終えることができた。監督、カメラマン、録音マンは十数回も漁船に乗り、漆黒の山に入り狩りを収録し、成功漁港や町中でも人々の生活や歴史を取材し、その労苦は計り知れなく、この日この場での上映は、訪台二回目の私でも感慨深い。


 どこでも笑顔の挨拶が交わされる。客人を大事にする。人が困っていたら自ら奔走し人脈も駆使する。これら台湾人の優しさ、誠実さ、人間らしさは、日本人が忘れてしまったもの、もっと言えば、捨ててしまったもののようにも思える。敗戦まで、台湾の人達も日本人もみんな努力して共存していた。日本統治下での差別や不公平もあろう中、市民生活は営まれた。それが1945年のあの日を機に、日本人は各港から船に乗って日本に帰らなくてはならなくなった。成功鎮の港から出る船にも、大勢の台湾人が弁当などを持って日本人を見送ったという。

普通の生活をしていた市民が、国籍を理由に引き裂かれた。

私は、読んで知っていたつもりになっていた72年前の理不尽な出来事を、この地に来て、今の自分達に置き換えてしまうほどタイムスリップしていた。その晩は床に就くも、もう涙が止まらなくなった。

カムシャ(感謝)というとても良いサウンドの言葉を覚えた。


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